THEキラキラ8犬伝、制作の流れ(その6)
さて、10月3日の中打ち上げを終えて、一段落といきたい所だが、そうは問屋がおろさない。
通しリハが露見させた数々の問題、これを残された時間でいかに解決し、芝居を熟成させるか・・・
キラキラの星の戦士たちに、休息の時は無い!
2009年10月4日
今まで手付かずだった映像パート、遂にクランクイン!
記念すべき最初の撮影は、講義棟屋上に勝手に上っての、ジュダイ蒸着シーン
蒸着シーンは#32の裏の劇中映像で、一度製作した事があるのだが、今回ポーズをとるのはジュダイ役の柴田先輩(実はシアター生駒の衣装を拝借して着てもらっている)。小柳によってフェスティバンの変身ポーズ(宇宙刑事3人のポーズを組み合わせたもの)が細かく指導された。
午前の映像打ち合わせの中で、イッカク元帥に兜を付ける事になり、衣装デザインもそれに合わせて修正を余儀なくされる事に。犬士共通の証・痣のデザインもこの時に決められる。
塗装作業も開始され、早速、コブンゴの部屋のパネルとアジトのゲートに色が塗られていく。
一方、アヌビスキラアク及びアスビーヌのテストメイクも別班で行われた。作業終了後に、皆で見に行ったのは言うまでもない
そして、その晩、月出先輩がmixi上にアップしていたメインタイトル映像を確認・・・

BGMこそ某帰ってきた超人の曲だったが、画としては正にこちらの理想通りのもの!
先輩としてはお遊びで作られた部分もあるとは思うのだけど、もう「初期ウルトラシリーズのノリでお願いします!」と正式にオファーしてしまう。
2009年10月5日
早速、イッカク元帥のデザインが新たに起こされ、兜の制作にかかる

2009年10月6日
ゲンパチの十手の突起部分製作。紆余曲折を経て、ゲンパチの苦労が報われない結果に
2009年10月7日
サークル共用棟にて稽古
だが、共用棟は天井が低く、刀を用いての殺陣の稽古には不向きであった。
(平台の上に乗ると、頭が天井にぶつかってしまう・・・)
台風が迫ってくる中、集客の打ち合わせをする一方、ネットラジオの話題で盛り上がってしまう
2009年10月8日
講堂を抑えていた日であったが、台風が近畿地方を直撃!
活動休止日に当てる・・・が、衣装チームはボックスで作業に励んでいた
(ボックスも多少の浸水があったが、パソコン等を配線しっぱなしだったテーブルタップは無事だった)
2009年10月9日
あらかた完成したイッカク兜だが、花岡の頭のサイズでは被れない事が判明
急遽、兜を左右に2分割し、パーツを追加してサイズを広げる事に・・・
イッカクの撮影まであと3日・・・ガンバレ、河原氏!
2009年10月10日
とは言うものの、他にも締め切りは控えている、衣装チーム
翌日の撮影に間に合わせるため、アヌビスキラアク、急ピッチで仕上げ!

一方、4幕のシノとゲンパチのアクションが詰められる中、ゲンパチ、突然トリプルアクセルから落下の顔面強打(単にすべって転んだだけ)。大丈夫か?おい・・・
2009年10月11日
ドイツからの客人、OG井尻が土産のドイツビールを持ってやってくる。早速、6幕に使う「イッカク元帥のお許しが出た、通せ」のセリフを録音。(ドイツ語で話すテイクも存在したが、未使用に終わっている)
また、#31のマリー様の風呂(ずっとボックス前に置いてあった)に箱馬を合体させ、あとはキャスター(何のとは言うまい)を装着して転がせるようにするのみの状態に。(ちなみに7幕終りのダイカクの一人芝居は、10月3日以降に追加されたもので、当初は何か台詞も言わせようと考えていた)
夜は、蒸着シーンの残りとプロローグのアヌビスキラアクのカットを講義棟の教室内で撮影
フェスティバンがアヌビスキラアクを演出するシュールな光景に・・・
2009年10月12日
フナムシの「プレイバック」シーンで使われる映像用に、ダイカク・イッカクのカットを撮影。(この場面はプロローグと対照的に、笑えるほどチープな映像を目指した)イッカクのメイクもこの日に決定される。

その後、プロローグのフセ姫のカットを撮影(最初は平城旧跡かどっかの野外でイメージビデオを撮るんだとか言っていたのだが・・・)
2009年10月13日
講堂でのキッカケ稽古、プロローグ~裏7幕までの照明プランを決定
また、シャレコウベ(仁木の手によるもの。花岡のシャレコウベという事で、彼の特徴である眉毛が付けられた)から礼の珠が飛び出すカットが撮影され、映像素材はクランクアップ!

今回の映像は、#32での反省を生かし、過度の多用は避け、各種設定の説明を分かりやすく見せるために流す必要最低限のものだけに絞っている。(せんとくんは例外)
よって、尺的にもそう長くは無いのだが、川島のスケジュールを考えれば、今回ぐらいのボリュームでギリギリだったと思われる。
音響・映像のオペを客席下手側の列で行う事になり、配線が組まれたが、プロジェクターだけは中央に固定のため、映像が流れぬ間、光が漏れないようにフタを被せる人間が別に必要となってしまう。
そこで、どうしても手が足りない時にお願いしようと、それまで声をかけずにいた、劇団からっぽの西山に依頼、OKを貰う。(とは言っても、西山にはシナリオ改稿の相談で、大分付き合ってもらっている)
一方、この頃はパンフの編集にも着手。表紙はカラー印刷にしようと、かねてから決めており、支援事業からの援助金の残額をその印刷費に充てる事にしたのだが、支援課からは、業者に発注する故、入稿の1週間後に届く想定をせねばならぬと言われてしまう。こりゃ大変だ。とりあえず、「パンフの原稿をあと1週間で仕上げてくれ」と、庄に無茶振りをしてみる
2009年10月14日
座長・柴田・小柳・田屋の四人で呑みながらパンフやフライヤーの打ち合わせ
とは言っても、ほとんど呑んでばっかだったけど
この手の呑みつつの話し合い、ホントはもっと現役とやりたかったんだけどなぁ・・・
2009年10月15日
OG廣田先輩にフライヤーに関して相談
印刷通販プリントバックを紹介していただく
本当なら、先輩にデザインを担当していただきたかったのだが、先輩、10月はスケジュールが一杯で安請け合いできない状態・・・
とりあえず、フライヤーのデータができ次第、先輩に送ってみるという事に・・・
パンフレット用の印刷用紙も、この日に注文
パンフに載せるキャスト・スタッフの50字コメントもこの日から集め始める。
2009年10月16日
パンフ、裏表をカラー印刷にすると予算オーバーとなってしまうため、とりあえずは庄が作ったパンフ表紙と裏表紙のデータ(とは言っても、表紙のキービジュアルは河原が犬士のシルエット画像を作った際に作ったものだが)を支援課に提出し、裏面に当たる2ページ目と9ページ目は、表紙裏表紙が刷り上がった後にこちらで印刷する事に
2009年10月17日
すずむし’99の「煌めく伝説」のレコーディング、奈良市内の某旅館にて行われる
2009年10月18日
共用棟にて稽古および製作
この頃から、田屋とSEのキッカケ合わせを頻繁に行う
2009年10月19日
完成目前の村雨丸を手に、ドウセツがイッカク(影武者)を斬るくだりを確認
(ちなみに村雨丸のデザインは露が噴き出すという事で、傘をイメージしているのだが、某戦隊のシンケンマルの影響も多分に受けている)
庄、パンフレットの構成をいったん置いて、フライヤーの構成に着手
2009年10月20日
講堂での作業日だが、スタッフ不在のため照明プラン決めは持ち越し
ケコミやバキュームクリーナーを載せる台(キャスター付き)などといった、舞台セットと密接に関係する物品の製作を行う
一方、庄の手で作られたフライヤーのデータを、廣田先輩にチェックしてもらうため送信
・・・したのだが、幸運にも、先輩自ら手を加えて頂ける事になり
待つこと数時間・・・
送られて来たのがこのデータ・・・(一部、誤表記がある)

僅かな時間で・・・、やはりプロの仕事はすごい
2009年10月21日
ムラカミ家の名刀・村雨丸完成!
殺陣の確認作業も一層気合いが入る(最後まで残されたサモジーロ対ゲンパチを具体的に)
そして、届くパンフレット(150で発注したはずなのに200数部あった)
えらい贅沢な紙質のものに印刷されており、こちらもまた、気合い入れて中身を編集せねばと改めて決意
そしてそして、フライヤーのデータの決定稿も完成、確認後、印刷業者に入稿!
ちなみに、このフライヤーの印刷
本番一週前の日曜日に何としてでも間に合わせようと、「入稿の1日後に発送」のコースで注文したので、8700円かかっているのだが、「入稿の6日後に発送」のコースならば、2400円で済んだ。
日時決定もとっくにしていたし、タイトルロゴも、犬士のシルエットデザインも9月末にはできあがっていたので、もう少し早くからフライヤー製作に動いていれば、余計に出費する事も無かったのである。
これは、完全にスケジュール管理ミス。
2009年10月22日
ダミーの村雨丸(とはいっても、サモジーロがすり替える偽物の方ではない。抜刀する事のないシーンで鞘にさしておくグリップのみのものである)を製作開始
2009年10月23日
講堂でプロローグの動きを確認中、あろうことか村雨丸が折れる!!
すぐさま、村雨丸の量産計画がスタート
だが、村雨丸、このタイミングで折れていて、本当に正解だったのである。
本番までに新村雨丸と2本のスペアが作られるのだが、結局、本番で全てを使い切る事になるのだから・・・
この日、8幕以降の照明プランが組まれ、「メビウス・ストライク」は、スポットの明かりを光の珠に見立ててぶつけた様に動かすという無茶な注文をする。
この日は、内藤と西山、座長が駆けつけ、遅めの時間まで3幕を中心に稽古を続行。
平台の天板による照り返しが照明に与える影響を考慮し、天板に暗幕を張るという対応策が座長から提案される。(また、プロジェクターの光も既存のフタではカバーしきれていない事が指摘された)
なお、本来なら、リヤカーの使用時間の都合上、19時には撤収しなければならなかったのだが、この日は舞台セットを置きっぱにして撤収している。翌日、講堂を抑えていたKATEに「朝一でかたすから」と無理を言ったのである
2009年10月24日
座長によって9幕の稽古がつけられる
煌亜空間の犬士たちが、どう絶望し、そこから這い上がるかが丁寧に作られていった。
実はこの時期、製作に追われて稽古らしい稽古がほとんどできていない。
演出の座長には、正直、もう少し稽古をつけてもらいたかった。
(私の立場はあくまで脚本と制作。私が役者に伝えていたのはホンの意図と、それを如何に段取り付けて進めるかが中心。ホンを膨らましていかに表現するかを考えるのは演出の仕事である)
夕方、フライヤー500(+α)枚が印刷業者から届く
早速、なんなんおもしろ体験隊の隊員の元へ行き、奈良市内の各公民館に置いてもらう手はずを整える
また、この日の晩、川島が仮編集した映像を確認
2009年10月25日
午前中はフライヤーの配布作業
ならまちや近隣のコンビニ等に置かせてもらう
プロローグのSE及びBGMが編集完了、ヌードルズのオールナイトニッポンも勢いで録音される
犬士(特にゲンパチ・ソウスケ)の殺陣における立ち姿の研究が行われるが、ハリキリすぎたせいか、ソウスケが腰を痛めてしまう
2009年10月26日
当日の受付を何人かのキラ座OG・OBに依頼
最終的に、藤山・濱崎の2人にやってもらうことに
2009年10月28日
8犬士の衣装がコブンゴの下半分を除いて完成し、パンフレット用の特写スチールが撮影される
ヒーロー8人の揃い踏み・・・

これが興奮せずにいられようか!
この時のスチールは翌日、庄の手で加工が施され、パンフレットの中で使われる事になる
だが、衣装チームはまだまだ解放されてはいない・・・
アスビーヌやフナムシなど、手付かずの衣装がまだあったのである。
とうとう、キラキラ座専用ミシン・レイコは幸恵氏の外宿に運び込まれる・・・
2009年10月30日
大学祭、遂に幕開け
8人の犬士は公演のアピールのため、衣装を身にまとった状態でイベント・模擬店をめぐる!
そして、ひたすら続くパンフレット製本!
トラジーロ、チュウネンら、悪役連中の衣装も徐々に揃って来たぞ~!

ちなみにチュウネン、通しリハでは衣装無しで済まされ、本番で初めてフル装備の衣装(バックル無しディケイドライバーを含む)を身に付けたのだが、小柳は裏6幕まで三宮、その後で、初めてチュウネンの着替えとメイク、そしてチュウネンの出番終りすぐにメイクを落として三宮に戻ったため、あの眉毛の繋がった変態メイクの施された完全体チュウネンを見た者は、キラ座内では少なく、当然ながら最後の記念撮影にも写っていない。(同様の事がトラジーロにも言える)ちなみに尻尾が実はカピパラのぬいぐるみで出来ているのはここだけの話である。
2009年10月31日
本番前日
仕込みの前に、本公演と同一時間帯での開演だったKATEの公演を視察
暗転時に子どもが怖がって泣いてしまうのを目の当たりにし、即、子ども向けアナウンスを挿入する事に決定。ケノにはヒーローショーの司会のお姉さん調で読んでもらう事に。
ダイカクではなく、糸井がバキュームクリーナーの最終調整をする中、
(裕も朝一から小道具づくりに励んでいた。すっかり小道具担当が板についたよ)
スタッフ・キャストは13時集合の、14時物品移動開始、15時に講堂入り、OG八田さんも応援に
(だが、講堂はKATEの公演終了後からずっと空いていたらしい。確認ミスだ!)
全物品が講堂に運ばれると、まずはマリー=エランクス先生によるブートキャン・・・もとい、カーテンコールの稽古が行われる。
その後、音響仕込み・受付設置・舞台仕込みの3班に分かれて作業
舞台仕込みは平台、箱馬の固定作業に入る
まず、平台と箱馬の継ぎ目に、布テープをバッテンに組んで貼り付け
平台らが動かないようになってから、ケコミをクギ打ちして固定する
・・・のだが、私の説明不足のため、ちと段取りの悪い事に・・・
(ついつい、いつものシアターでの調子で動いてしまう。そういや、誰にも教えてなかったや・・・)
座長も合流し、いつも通りドタバタになりながらもゲネプロ開始!
その頃、川島は月出先輩から完成したばかりのオープニングタイトル映像のデータを無事にゲット。この日の晩に、編集済み映像とドッキングさせ、DVDに焼く。まさに、ギリギリの完成であった(何日も夜を撤して作って下さった月出先輩、ありがとうございます)
そして、ゲネプロの終了・・・予測通り上演時間は1時間40分
しかし、ポロポロ落ちる犬士の珠・・・
パックリ破けたシノズボン・・・
結局変身せずに終わった、フェスティバンとトラジーロ・・・
完成していない小道具・・・
そして、心配される天気と客足・・・
それぞれが不安と問題を抱えて、最後の夜を過ごした
2009年11月1日
本番当日
7時に講堂に集合
シノの珠(実はダイソーで買ったクリスマスの飾り)とフェスティバンのマスクで作った真っ赤なテルテル坊主の効果が出たのか、予報を覆すいい天気!(客出しと同時に雨が降ったからまた凄い・・・。流石は「あめのひも晴れ舞台キラキラ座」である)
昨日出来ずじまいだった、プロジェクターの配線作業が早速行われる
ビデオカメラの手配をすっかり忘れるという凡ミスを犯すものの、撮影の段取りは川島企画のお陰で何とかなる。
座長の指揮の元、音響・照明、そして大道具移動の確認がギリギリまで行われ、メイクも同時並行で進められる。
そして、5分押しで客入れ開始!
これまでになく、ギュウギュウ詰めの楽屋にて円陣を組むキャスト・スタッフ
「キラキラ座ファイトー!オー!!!」
キラキラ座史上最大の劇戦は、こうして幕を開けた
通しリハが露見させた数々の問題、これを残された時間でいかに解決し、芝居を熟成させるか・・・
キラキラの星の戦士たちに、休息の時は無い!
2009年10月4日
今まで手付かずだった映像パート、遂にクランクイン!
記念すべき最初の撮影は、講義棟屋上に勝手に上っての、ジュダイ蒸着シーン
蒸着シーンは#32の裏の劇中映像で、一度製作した事があるのだが、今回ポーズをとるのはジュダイ役の柴田先輩(実はシアター生駒の衣装を拝借して着てもらっている)。小柳によってフェスティバンの変身ポーズ(宇宙刑事3人のポーズを組み合わせたもの)が細かく指導された。
午前の映像打ち合わせの中で、イッカク元帥に兜を付ける事になり、衣装デザインもそれに合わせて修正を余儀なくされる事に。犬士共通の証・痣のデザインもこの時に決められる。
塗装作業も開始され、早速、コブンゴの部屋のパネルとアジトのゲートに色が塗られていく。
一方、アヌビスキラアク及びアスビーヌのテストメイクも別班で行われた。作業終了後に、皆で見に行ったのは言うまでもない
そして、その晩、月出先輩がmixi上にアップしていたメインタイトル映像を確認・・・

BGMこそ某帰ってきた超人の曲だったが、画としては正にこちらの理想通りのもの!
先輩としてはお遊びで作られた部分もあるとは思うのだけど、もう「初期ウルトラシリーズのノリでお願いします!」と正式にオファーしてしまう。
2009年10月5日
早速、イッカク元帥のデザインが新たに起こされ、兜の制作にかかる

2009年10月6日
ゲンパチの十手の突起部分製作。紆余曲折を経て、ゲンパチの苦労が報われない結果に
2009年10月7日
サークル共用棟にて稽古
だが、共用棟は天井が低く、刀を用いての殺陣の稽古には不向きであった。
(平台の上に乗ると、頭が天井にぶつかってしまう・・・)
台風が迫ってくる中、集客の打ち合わせをする一方、ネットラジオの話題で盛り上がってしまう
2009年10月8日
講堂を抑えていた日であったが、台風が近畿地方を直撃!
活動休止日に当てる・・・が、衣装チームはボックスで作業に励んでいた
(ボックスも多少の浸水があったが、パソコン等を配線しっぱなしだったテーブルタップは無事だった)
2009年10月9日
あらかた完成したイッカク兜だが、花岡の頭のサイズでは被れない事が判明
急遽、兜を左右に2分割し、パーツを追加してサイズを広げる事に・・・
イッカクの撮影まであと3日・・・ガンバレ、河原氏!
2009年10月10日
とは言うものの、他にも締め切りは控えている、衣装チーム
翌日の撮影に間に合わせるため、アヌビスキラアク、急ピッチで仕上げ!

一方、4幕のシノとゲンパチのアクションが詰められる中、ゲンパチ、突然トリプルアクセルから落下の顔面強打(単にすべって転んだだけ)。大丈夫か?おい・・・
2009年10月11日
ドイツからの客人、OG井尻が土産のドイツビールを持ってやってくる。早速、6幕に使う「イッカク元帥のお許しが出た、通せ」のセリフを録音。(ドイツ語で話すテイクも存在したが、未使用に終わっている)
また、#31のマリー様の風呂(ずっとボックス前に置いてあった)に箱馬を合体させ、あとはキャスター(何のとは言うまい)を装着して転がせるようにするのみの状態に。(ちなみに7幕終りのダイカクの一人芝居は、10月3日以降に追加されたもので、当初は何か台詞も言わせようと考えていた)
夜は、蒸着シーンの残りとプロローグのアヌビスキラアクのカットを講義棟の教室内で撮影
フェスティバンがアヌビスキラアクを演出するシュールな光景に・・・
2009年10月12日
フナムシの「プレイバック」シーンで使われる映像用に、ダイカク・イッカクのカットを撮影。(この場面はプロローグと対照的に、笑えるほどチープな映像を目指した)イッカクのメイクもこの日に決定される。

その後、プロローグのフセ姫のカットを撮影(最初は平城旧跡かどっかの野外でイメージビデオを撮るんだとか言っていたのだが・・・)
2009年10月13日
講堂でのキッカケ稽古、プロローグ~裏7幕までの照明プランを決定
また、シャレコウベ(仁木の手によるもの。花岡のシャレコウベという事で、彼の特徴である眉毛が付けられた)から礼の珠が飛び出すカットが撮影され、映像素材はクランクアップ!

今回の映像は、#32での反省を生かし、過度の多用は避け、各種設定の説明を分かりやすく見せるために流す必要最低限のものだけに絞っている。(せんとくんは例外)
よって、尺的にもそう長くは無いのだが、川島のスケジュールを考えれば、今回ぐらいのボリュームでギリギリだったと思われる。
音響・映像のオペを客席下手側の列で行う事になり、配線が組まれたが、プロジェクターだけは中央に固定のため、映像が流れぬ間、光が漏れないようにフタを被せる人間が別に必要となってしまう。
そこで、どうしても手が足りない時にお願いしようと、それまで声をかけずにいた、劇団からっぽの西山に依頼、OKを貰う。(とは言っても、西山にはシナリオ改稿の相談で、大分付き合ってもらっている)
一方、この頃はパンフの編集にも着手。表紙はカラー印刷にしようと、かねてから決めており、支援事業からの援助金の残額をその印刷費に充てる事にしたのだが、支援課からは、業者に発注する故、入稿の1週間後に届く想定をせねばならぬと言われてしまう。こりゃ大変だ。とりあえず、「パンフの原稿をあと1週間で仕上げてくれ」と、庄に無茶振りをしてみる
2009年10月14日
座長・柴田・小柳・田屋の四人で呑みながらパンフやフライヤーの打ち合わせ
とは言っても、ほとんど呑んでばっかだったけど
この手の呑みつつの話し合い、ホントはもっと現役とやりたかったんだけどなぁ・・・
2009年10月15日
OG廣田先輩にフライヤーに関して相談
印刷通販プリントバックを紹介していただく
本当なら、先輩にデザインを担当していただきたかったのだが、先輩、10月はスケジュールが一杯で安請け合いできない状態・・・
とりあえず、フライヤーのデータができ次第、先輩に送ってみるという事に・・・
パンフレット用の印刷用紙も、この日に注文
パンフに載せるキャスト・スタッフの50字コメントもこの日から集め始める。
2009年10月16日
パンフ、裏表をカラー印刷にすると予算オーバーとなってしまうため、とりあえずは庄が作ったパンフ表紙と裏表紙のデータ(とは言っても、表紙のキービジュアルは河原が犬士のシルエット画像を作った際に作ったものだが)を支援課に提出し、裏面に当たる2ページ目と9ページ目は、表紙裏表紙が刷り上がった後にこちらで印刷する事に
2009年10月17日
すずむし’99の「煌めく伝説」のレコーディング、奈良市内の某旅館にて行われる
2009年10月18日
共用棟にて稽古および製作
この頃から、田屋とSEのキッカケ合わせを頻繁に行う
2009年10月19日
完成目前の村雨丸を手に、ドウセツがイッカク(影武者)を斬るくだりを確認
(ちなみに村雨丸のデザインは露が噴き出すという事で、傘をイメージしているのだが、某戦隊のシンケンマルの影響も多分に受けている)
庄、パンフレットの構成をいったん置いて、フライヤーの構成に着手
2009年10月20日
講堂での作業日だが、スタッフ不在のため照明プラン決めは持ち越し
ケコミやバキュームクリーナーを載せる台(キャスター付き)などといった、舞台セットと密接に関係する物品の製作を行う
一方、庄の手で作られたフライヤーのデータを、廣田先輩にチェックしてもらうため送信
・・・したのだが、幸運にも、先輩自ら手を加えて頂ける事になり
待つこと数時間・・・
送られて来たのがこのデータ・・・(一部、誤表記がある)

僅かな時間で・・・、やはりプロの仕事はすごい
2009年10月21日
ムラカミ家の名刀・村雨丸完成!
殺陣の確認作業も一層気合いが入る(最後まで残されたサモジーロ対ゲンパチを具体的に)
そして、届くパンフレット(150で発注したはずなのに200数部あった)
えらい贅沢な紙質のものに印刷されており、こちらもまた、気合い入れて中身を編集せねばと改めて決意
そしてそして、フライヤーのデータの決定稿も完成、確認後、印刷業者に入稿!
ちなみに、このフライヤーの印刷
本番一週前の日曜日に何としてでも間に合わせようと、「入稿の1日後に発送」のコースで注文したので、8700円かかっているのだが、「入稿の6日後に発送」のコースならば、2400円で済んだ。
日時決定もとっくにしていたし、タイトルロゴも、犬士のシルエットデザインも9月末にはできあがっていたので、もう少し早くからフライヤー製作に動いていれば、余計に出費する事も無かったのである。
これは、完全にスケジュール管理ミス。
2009年10月22日
ダミーの村雨丸(とはいっても、サモジーロがすり替える偽物の方ではない。抜刀する事のないシーンで鞘にさしておくグリップのみのものである)を製作開始
2009年10月23日
講堂でプロローグの動きを確認中、あろうことか村雨丸が折れる!!
すぐさま、村雨丸の量産計画がスタート
だが、村雨丸、このタイミングで折れていて、本当に正解だったのである。
本番までに新村雨丸と2本のスペアが作られるのだが、結局、本番で全てを使い切る事になるのだから・・・
この日、8幕以降の照明プランが組まれ、「メビウス・ストライク」は、スポットの明かりを光の珠に見立ててぶつけた様に動かすという無茶な注文をする。
この日は、内藤と西山、座長が駆けつけ、遅めの時間まで3幕を中心に稽古を続行。
平台の天板による照り返しが照明に与える影響を考慮し、天板に暗幕を張るという対応策が座長から提案される。(また、プロジェクターの光も既存のフタではカバーしきれていない事が指摘された)
なお、本来なら、リヤカーの使用時間の都合上、19時には撤収しなければならなかったのだが、この日は舞台セットを置きっぱにして撤収している。翌日、講堂を抑えていたKATEに「朝一でかたすから」と無理を言ったのである
2009年10月24日
座長によって9幕の稽古がつけられる
煌亜空間の犬士たちが、どう絶望し、そこから這い上がるかが丁寧に作られていった。
実はこの時期、製作に追われて稽古らしい稽古がほとんどできていない。
演出の座長には、正直、もう少し稽古をつけてもらいたかった。
(私の立場はあくまで脚本と制作。私が役者に伝えていたのはホンの意図と、それを如何に段取り付けて進めるかが中心。ホンを膨らましていかに表現するかを考えるのは演出の仕事である)
夕方、フライヤー500(+α)枚が印刷業者から届く
早速、なんなんおもしろ体験隊の隊員の元へ行き、奈良市内の各公民館に置いてもらう手はずを整える
また、この日の晩、川島が仮編集した映像を確認
2009年10月25日
午前中はフライヤーの配布作業
ならまちや近隣のコンビニ等に置かせてもらう
プロローグのSE及びBGMが編集完了、ヌードルズのオールナイトニッポンも勢いで録音される
犬士(特にゲンパチ・ソウスケ)の殺陣における立ち姿の研究が行われるが、ハリキリすぎたせいか、ソウスケが腰を痛めてしまう
2009年10月26日
当日の受付を何人かのキラ座OG・OBに依頼
最終的に、藤山・濱崎の2人にやってもらうことに
2009年10月28日
8犬士の衣装がコブンゴの下半分を除いて完成し、パンフレット用の特写スチールが撮影される
ヒーロー8人の揃い踏み・・・

これが興奮せずにいられようか!
この時のスチールは翌日、庄の手で加工が施され、パンフレットの中で使われる事になる
だが、衣装チームはまだまだ解放されてはいない・・・
アスビーヌやフナムシなど、手付かずの衣装がまだあったのである。
とうとう、キラキラ座専用ミシン・レイコは幸恵氏の外宿に運び込まれる・・・
2009年10月30日
大学祭、遂に幕開け
8人の犬士は公演のアピールのため、衣装を身にまとった状態でイベント・模擬店をめぐる!
そして、ひたすら続くパンフレット製本!
トラジーロ、チュウネンら、悪役連中の衣装も徐々に揃って来たぞ~!

ちなみにチュウネン、通しリハでは衣装無しで済まされ、本番で初めてフル装備の衣装(バックル無しディケイドライバーを含む)を身に付けたのだが、小柳は裏6幕まで三宮、その後で、初めてチュウネンの着替えとメイク、そしてチュウネンの出番終りすぐにメイクを落として三宮に戻ったため、あの眉毛の繋がった変態メイクの施された完全体チュウネンを見た者は、キラ座内では少なく、当然ながら最後の記念撮影にも写っていない。(同様の事がトラジーロにも言える)ちなみに尻尾が実はカピパラのぬいぐるみで出来ているのはここだけの話である。
2009年10月31日
本番前日
仕込みの前に、本公演と同一時間帯での開演だったKATEの公演を視察
暗転時に子どもが怖がって泣いてしまうのを目の当たりにし、即、子ども向けアナウンスを挿入する事に決定。ケノにはヒーローショーの司会のお姉さん調で読んでもらう事に。
ダイカクではなく、糸井がバキュームクリーナーの最終調整をする中、
(裕も朝一から小道具づくりに励んでいた。すっかり小道具担当が板についたよ)
スタッフ・キャストは13時集合の、14時物品移動開始、15時に講堂入り、OG八田さんも応援に
(だが、講堂はKATEの公演終了後からずっと空いていたらしい。確認ミスだ!)
全物品が講堂に運ばれると、まずはマリー=エランクス先生によるブートキャン・・・もとい、カーテンコールの稽古が行われる。
その後、音響仕込み・受付設置・舞台仕込みの3班に分かれて作業
舞台仕込みは平台、箱馬の固定作業に入る
まず、平台と箱馬の継ぎ目に、布テープをバッテンに組んで貼り付け
平台らが動かないようになってから、ケコミをクギ打ちして固定する
・・・のだが、私の説明不足のため、ちと段取りの悪い事に・・・
(ついつい、いつものシアターでの調子で動いてしまう。そういや、誰にも教えてなかったや・・・)
座長も合流し、いつも通りドタバタになりながらもゲネプロ開始!
その頃、川島は月出先輩から完成したばかりのオープニングタイトル映像のデータを無事にゲット。この日の晩に、編集済み映像とドッキングさせ、DVDに焼く。まさに、ギリギリの完成であった(何日も夜を撤して作って下さった月出先輩、ありがとうございます)
そして、ゲネプロの終了・・・予測通り上演時間は1時間40分
しかし、ポロポロ落ちる犬士の珠・・・
パックリ破けたシノズボン・・・
結局変身せずに終わった、フェスティバンとトラジーロ・・・
完成していない小道具・・・
そして、心配される天気と客足・・・
それぞれが不安と問題を抱えて、最後の夜を過ごした
2009年11月1日
本番当日
7時に講堂に集合
シノの珠(実はダイソーで買ったクリスマスの飾り)とフェスティバンのマスクで作った真っ赤なテルテル坊主の効果が出たのか、予報を覆すいい天気!(客出しと同時に雨が降ったからまた凄い・・・。流石は「あめのひも晴れ舞台キラキラ座」である)
昨日出来ずじまいだった、プロジェクターの配線作業が早速行われる
ビデオカメラの手配をすっかり忘れるという凡ミスを犯すものの、撮影の段取りは川島企画のお陰で何とかなる。
座長の指揮の元、音響・照明、そして大道具移動の確認がギリギリまで行われ、メイクも同時並行で進められる。
そして、5分押しで客入れ開始!
これまでになく、ギュウギュウ詰めの楽屋にて円陣を組むキャスト・スタッフ
「キラキラ座ファイトー!オー!!!」
キラキラ座史上最大の劇戦は、こうして幕を開けた
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